短い凪があり、レーダーは4隻の敵艦を示した。敵艦は5,800ヤード(5.3 km)の距離で右舷方向から接近した。日本軍艦艇によるサーチライトの照射はサウスダコタの艦影を照らし出した。ワシントンが最大と思われる艦に対して砲撃を始め、サウスダコタは重巡洋艦と思われる3隻目に対して砲撃を始めた。サウスダコタは少なくとも3隻の敵艦から砲撃を受け、42発が命中し大きな損害を受ける。通信管制塔が破壊され、レーダーも破壊された。3つの射撃管制レーダーに損害を受け、艦首部分で火災が発生した。サウスダコタはワシントンを見失い、これ以上の損害を生じさせることはできず後退を始める。ワシントンとは設定水域で合流し、ヌーメアに帰還する。アメリカ艦隊の内グウィンだけが帰還した。ウォーク、プレストンが撃沈され、ベンハムは魚雷により艦首部分を大きく損傷しグウィンの護衛を受けながらヌーメアに向かったが、途中放棄されグウィンの砲撃で沈められた。日本側の損害は高雄、愛宕への命中弾が記録され、霧島、綾波が撃沈された。
サウスダコタはヌーメアで工作艦プロメテウス (USS Prometheus, AR-3) による補修を受けた後、11月25日にトンガタプ島に向かいその後本国に帰還する。サウスダコタがニューヨークに到着したのは1942年12月18日のことであった。オーバーホールと完全修理の後1943年2月25日に出航、海上公試の後空母レンジャー (USS Ranger, CV-4) と共に4月中旬大西洋で作戦活動を行う。
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サウスダコタは続いてスカパ・フローを拠点としてイギリスの本国艦隊との作戦活動を行う。8月1日にバージニア州ノーフォークに帰還、21日に出航しエファテ島を経由して9月14日にハバナ港に到着した。11月7日にフィジーに移動し、4日後に第8および第9戦艦部隊と共に出航、第50.1任務群、空母迎撃部隊の支援を行う。ギルバート諸島に対する攻撃、ガルヴァニック作戦で空母部隊は11月19日にジャルート環礁、ミリ環礁への攻撃を行い、敵飛行場を無力化した。部隊は続いてマキンおよびタラワへの上陸部隊に対する航空支援を行った。
サウスダコタは5隻の戦艦と共に12月8日に任務群を構成し、ナウルへの艦砲射撃を行う。艦砲射撃と航空攻撃によって海岸沿いの敵施設および飛行場は大きく破壊された。サウスダコタは12月12日にエファテ島に後退し維持および弾薬補給を行う。1944年1月29日に再び戦闘に参加し、空母部隊はマーシャル諸島のロイ=ナムル島に攻撃を行った。翌日サウスダコタは移動し、ロイ=ナムル島の敵拠点に砲撃を行い、その後クェゼリン環礁、マジュロ環礁、ロイ=ナムル島への上陸部隊に航空支援を行う空母部隊と合流した。
2月12日にマーシャル諸島を出航したサウスダコタは2月17日と18日にトラック諸島の日本軍拠点に対する攻撃を開始した。6日後、マリアナ諸島に最初の攻撃を行う空母部隊の護衛を担当する。部隊は数度の航空攻撃を受け、サウスダコタは4機の日本軍機を撃墜した。2月26日にマジュロ環礁に帰還、3月22日まで停泊しその後第5艦隊の高速空母部隊と共に出撃した。部隊は3月30日から4月1日にかけて西カロリン諸島のパラオ、ヤップ、ウォレアイおよびウルシー環礁に対して空襲を行った